出来ることをやるということ

日常
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コロナで世の中が変わり1年以上が経ちました。例えば和歌山県などは知事がちゃんと情報発信をしており、かなりハッキリしたスタンスがあります。とても勇気がいることでしょうし、説明も非常にわかりやすくロジカルです。和歌山県知事の言動を見ていると彼は出来ることはやっているといえるかもしれません。

1都3県や国が、もし大きな株式会社だったとしたら、株主からは怒号が浴びせられるのではないでしょうか。当然、都知事や県知事も同じように、できることはやっている、と本人達は思っているかもしれませんが、世間は(この場合で言うと株主)そうは見ないでしょう。それは首相にも言えること。

何が違うかと言えば、政治的な動きや、自分を良く見せたい、批判されたくない、と思っている人の言動と、そうではなく本質を考え、説明できることをしっかり説明して行動もするという違いではなかろうかと。

出来ることをやる、というのは、それぞれの人の能力にかなり依存すると思います。どんな仕事でも何かしらの制限はあるわけです。例えば、上司や部下の能力が低く、パフォーマンスが出せないとします。もしくは、自分に権限があまりないとします。そして、こういう状況でも出来ることはやってると言う、もしくは思う。

しかし言い換えれば、それは言い訳と自己限定ではないでしょうか。勿論、様々な制限は事実であり、本当のことかもしれません。愚痴も言いたくなるでしょうし、私も言っていると思います。ただ状況がそうなんだから、その中で何かをするしかない。その制限された中でパフォーマンスを出すのも能力の一つであるはずです。そういう意味で出来ることをやる、というのは健全な気がしますが、自己限定や言い訳があり、出来ることをやっているのに・・・というのは少々都合のいい話な気がします。チャンスをくれればやれるのに、とか、成長の機会さえあれば、と思っているのと変わりません。

例えば医師会が出来ることをやっているとは思いませんし、都や国もずるいと思います。皆それぞれ出来ることをやっている(と自分たちは思っている)のに、ずるいと思うのは、それは利権や支持率などコロナ対策としては本質でない要素が見え隠れ(というか隠れないで非常にクリアに良く見えている)するからでしょう。

最近自分が思うことは、日本の会社で働いていますが、HQ(本社)らしい強さみたいなものがなく、グローバル、リージョン(地域本社)の方々に対して中々うまくいかないことがあります。これは外資のHQのような強さや権限がないとも言えますが、結局のところ自分の能力不足だと思うわけです。そして本当に出来ることをしているか?と突き詰めれば、していないのではないかと。周りは恐らくそうは思っていませんが、本当の自分の気持ちは、やはり経験と能力不足があるように思います。

この状況を変えるには、結局のところ権限やら状況やらが問題と言うのではなく、やはり自分のこの状況をつくったと思うことでしょうし、ではどうしていくか?と考え、何かを掴むしかないように思います。一定の評価をされていると、まぁいいか、直接的に困ってないし、と思ってしまうわけですが、それは仕事の報酬の一つである成長が止まることでもあるように思います。それは同時にチームの成長が止まることでもあります。

成長すると何がいいのか?というのは少し難しい話ですが、出来ないことが出来るようになる喜びみたいなものは誰しもが本能的に近いところで持っているところであり、見たことのな景色を見られるのは自然な喜びであるのかもしれません。今まで見てきた景色で何とかなってるし、これからもなるだろうけど、それでいいかは自分次第なんだろうなぁといろいろなニュースを見て思いました。

そういえば、何だかんだでプライベートで目に見えて出来ることやっているって言えるのは、今年に入って一日もブログ休まずにアップロードしていることでしょうか(笑)

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