言った人が損をする文化

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三菱電機の不祥事の話というのは、問題の大小はあるにしても、知っている限り日本の歴史ある大企業ではよくある話ではなかろうかと思います。そしてそれが理解できなく、実感がなんとなくあってもうまく文字にできなかったわけですが、何となく書いてみようと思います。

私は外資から日本の大企業と言われるところに転職して3年が経ちました。転職して良かったことも悪かったこともありますが、どうもしっくりこないけど、それが何だかハッキリ説明出来ないことがあり、ストレスでもあったように思います。今もそのストレスはあるわけですが、消化する方法が少しわかったような気がします。長期的に考えると、俺何やってんだ?って話なのですが。

簡単に言えば、今は言った人が損をするという文化なので、基本的に問題点を見つけ、自分のチーム内や業務の中であれば解決しに行きます。ただそれは自分で解決できることに限ります。部署を大きく超えたり、ある程度の規模のプロジェクトは言われればやりますが、やったほうがいいのになーって思っても自分からは言わなくなりました。これが消化する方法がわかったという話。

当然長期的に考えれば自分の経験になる話なので成長の機会を逃しているわけですが、人は誰しも大なり小なり承認欲求というものがあり、褒められたかったり、評価されたいと思うわけです。ただ何かをするということは、自己犠牲をすることでもあるので、その自己犠牲に見合うかということを考えるようになりました。以前そんなに考えなかったのは、権限が割としっかりしていて、結果出せば基本的に何も言われないし、認めてくれたり、仕事がしやすくなったり、出世したり、という環境だったので、自由にでき、問題に切り込め、使命感とか責任感に加えてある程度のモチベーションもありました。

今の会社は、問題点を見つけ指摘すると、じゃあ君がやればいいとなったり、それはまだいいとして、そのことで成果を挙げても大して評価されない。評価されないのにはいくつか理由があるわけですが、一つは、君がやればいい、やってみれば?と言われているのに、上司や役員が実は、その問題は大きなことだと思っていなくて、とりあえず改善できるならいいんじゃない?くらいの感覚だったりします。だから成果を定量的に示しても、元々大きな話だと思っていないから、口では感謝されたりしますが、実際評価がされないとか。

もう一つあげるとすれば、常に評価が減点方式なところがあるので、それをやっても出来て当たり前、やって当たり前、というところがある。追加していくつかの仕事をしてもしなくても、全部出来て100点、追加でやってるのに、そこで何か失敗すると評価を落とすという感じ。そして偉い方々は失敗してもOK、思い切ってやってくれ、チャレンジが大事だ、とか口では言うわけです。ただ実際の見られ方が違う。そうなると彼らの意向に沿った仕事をなるべく自分が負担せずにやればいい、というマインドになります。だって忙しくなり、評価が下がるリスクのあることをわざわざやりたくないし・・・。

こういうマインドに自分がなるとは思いませんでしたが、客観的に見たら私はたぶんそういう行動を最近している。方向性として自分の本来の考え方と違うし、思い通りにはならないからストレスなんでしょうけど、それをも超えて、何か積極的ではなくなりました。

無難に仕事をこなし、黙ってればほどほどの給料やポジションが貰えるわけですし、そもそもプロパーの人達はずっとその文化で働いているので、疑問にも思わない人が多いかもしれないですし、総合的に考えて、ある程度お金貰えて、こんなもんかな、って思うのもよくわかる今日この頃。

心理的安全性(何でも言える環境)がないチームや会社はパフォーマンスが上がらないというグーグルの研究結果があり、近年この言葉が流行ってますが、大きくみればそんな感じなんだろうなと思います。長く続くのかなぁ私は。そうは言っても、結局そこにいるのは自分ですし、それは自分で決めていることなので、最後はじゃあ自分がどうするか?という話であり、自己責任の範疇なわけですが。皆さんはどういうモチベーションであり、どういう環境で働いているのでしょうか。少し振り返ってみてもいいかもしれません。

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