イノベーションと既得権

日常
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とある大学教授が、日本にイノベーションが起こらないのは既得権にメスを入れないからだ、という話をしておりまして、なるほど、確かに。と思いました。イノベーションはその分野の革命なので、元々その分野で甘い汁を吸っていた人が淘汰される可能性があり、それを良しとしない既得権を持っている人々は当然イノベーションが起こらないように、または変化させないようにするという構図。

こう考えていくと、岸田首相の能力だけの問題ではなく、自民党そのものが政権と取っているのでは、いくら優れたリーダーでもマイナーチェンジしか出来ないんだろうなって思います。医師会なんか見ていても、政治家のパーティーでパーティー券買いまくり、何かあっても、政治に対して、お前わかってるよな?ってことを言えるだろうし、政治家からしても、その資金は助かるわけです。

一時的に与党ではなかったものの、長い間自民党が政権を握っており、ある意味助け合ってる状況は、信念をもって、医療の改革をするんだ、政治の改革をするんだ、だから、こういう癒着や既得権的なものなんて潰そう!なんて、どちらも言うわけがないです。たぶん私だってその環境があり、医師会や政治家だったらうまいことやろうと思う。そこには政治や医療に対しての信念がないからです。

かといって自民党の最大のスポンサーともいえる野党では・・・というのが恐らく今の流れ。それを打破する野党が出てくれば、もしかしたら変わる道筋はつくれるかもしれません。牛乳があまりそうだったら、飲んでくださいって国民に呼びかける今の政府では到底無理。そして農家もそういう既得権に守られているから、努力して競争して良くするということをしなくなり、イノベーションが起こらない。

この話は割と奥が深いような気がして、人間は変化そのものは別に嫌いではないのだと思います。例えばスマホなんて、使ってみたら便利だからみんな使う。では変化を嫌う場合はどういう場合か?を考えると、それは自己犠牲を払わないといけないときなんだと思います。要は構造改革は痛みを伴うってことでしょう。考えていくと、自己犠牲の前に自己限定があるような気がして、それは育った環境や、教育、制度が自己限定をつくるような気がします。

では、自己犠牲を払うときは何か?を考えると、強制的にやらされるか、もしくは、どういう価値観で自分がいるか?自己犠牲の対価とは何かを考える必要があるように思います。単純にお金ってこともあるだろうし、強みは好きなことが多いから、好きなことなら自己犠牲も苦にならないと思うかもしれません。

話がそれてしまいましたが、日本の経済が良くならないのは、イノベーションできる環境が整っていなく、様々な既得権がそれを邪魔していると、確かに言えなくはないと思いました。条件が厳しすぎ、人口が減っている日本なので、外国からお金を運べる人、日本に強烈な愛国心があり、日本に数ある既得権の中(邪魔な存在が多数いる中)でも、個人ではなく、日本を良くしたく、税金を納めたいと思う・・・などという条件が必要で、ではいったい誰がイノベーションを起こせてGAFAのような企業を作ることができるのでしょうか・・・。まぁまぁ絶望的な話だなーと思いました。

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