ある一人の英語教師

日常
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つい先日、本当にたまたまでしたが、友人のSNSの投稿をキッカケに、高校で印象に残っていた英語の先生が退職をするということと、その最後の授業を動画で見る機会がありました。

私は確か高校2年のときに習いましたが、テストは20点とか30点で当時英語だけでなく、まったく勉強が出来ませんでした。中高一貫の学校でしたが、中学の後半くらいから成績は落ち、勉強するということをしたことがほぼないので、わからなくなるとわからないままという状態。まぁそれでも全然後悔はしていないし、語学自体に今だに興味はなく、それほど出来ないですが、仕事では使うし、海外にもいました。要はある程度出来ますって感じ。

その授業自体は、まだ英語でハッキリとわからないことがある、という授業で、Is there a Santa Claus?(サンタはいるの?)の冠詞は何でaなのか、みたいな話などでした。こちらもトピック的には興味ないわけですが、その授業は確かにその先生そのものでした。ちょっと思い出したわけですが、英語わからないし出来なかったけど、授業は面白くて、雑談が半分を大体占めるという感じ。

最後の授業中に言っていたのは、調べることは便利になり、知識も得やすくなったが、やっぱり限界があり、最後は自分で考えるしかないというものでした。何気なく言っていたわけですが、このことだけでなく、その授業には何十年か教師をしてきて、そして英語を専門にやってきて、自己認識をしっかりしているという、その先生のスタイルが凝縮されていたように思います。

教師の世界というのは狭い世界だと思いますし、社会人経験があまりない人達が、社会に出たら云々とか教えるみたいな、少しおかしな世界であり、そして今考えれば大半の教師はレベルが高いとは言えませんでしたが、この先生の場合はそれを凌駕する知識量があり、シャイな一面もありながら、それを自分で認識し、授業自体は面白い。それは教師の世界を離れても英語を研究するというプロフェッショナルなところがあるように思いました。そもそも自分が好きなことをかなりのレベルで追及していたということだと思います。

この先生は恐らく他の教師同様に多くの人が経験している社会を経験していないので、所謂教師の世界の中で生きてきたのだと思いますし、それは感じるわけですが、そんなことはどうでもいいくらいに魅力があったのだとは思います。それはいずれにしても、恐らく何事も考えるということしていたから。

そして彼のスタイルは調べて知識を得て、それでもわからんことは、自分で考えて追及していのでしょう。知識を得ることにそれほど経験は必要ないと思いますが、深い境地に行くには常に考えて、それが経験となり芯が太くなったり、考えがアップグレードしていくのだとは思います。それを何十年も続けてきたのがこの先生であり、何となく話してることにも深みや面白味がでるのではないかと。

少し懐かしい気分になりましたし、何よりお疲れ様でした。

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