教師のツイートに絡むようになったわけと、絡んでの感想

日常
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最近教師のツイートに絡みまくってますが、実は最初はポジティブに参考にしようかなと思っていました。最近やっている活動で、職場環境の改善と人材育成があり、人に興味がそもそもありますし、試したいアプローチもありました。元々はあまり気乗りしない活動だったのですが、条件は、自由にやらせてくれること、成果が出なければ全部自分の責任になるということ、人事部や外野の介入がないことが条件。幸い理解ある上司なのでOKということでスタート。

試したいアプローチというのは、この育成やら職場環境やらの問題をマーケティング(私はマーケのプロではないですが)のアプローチでやってみたいということでした。会社は勿論方針やらコンピテンシーなどあるけど、一旦無視。

簡単に言えば目的そのものから考える活動にしたかったのですが、上司からは、とりあえずざっくりと”結果を出す”組織にしたいとのこと。じゃ~結果を出すってどういうことか?から考えましょう、みたいな具合。

結果を出すにも色々あり、数値目標の達成やら、プロセスを評価されたいやら、精神的な充足みたいなものがあり、定性的なもの定量的なものがあるということを定義し、では目的考えましょうと進めます。

目的が決まったら現状把握やWho(どこを対象にするのか)を決め、What(何をするのかを決める)といった具合ですが、Whatを決める(というか探す)のにはインサイトを見つけることがヒントになります。インサイトは無意識的に感じ、根底にある心理みたいなものを探すということ。

つまり、対象のWhoが本来、会社や組織に何を求めているのかを探るという感じ。大体これかなーということはかなり考えて見つけましたが、とても当たり前なことであり、本能に近い感じなように思います。

さて、ここで問題となり、今どーしようかなと思っているのが、結果を出す→目的と決め、インサイト見つけてWhatに迫るときに、目的を果たすとインサイトが直結せずWhatで補填しなければならないということ。ここはある程度予想していたものの非常に難しい。Whatが決まればHowを考え、Howはどういう形で届けるかが問題なだけ。ビジネスや資本主義的な世界にいるということのギャップというか。

と、前置きは長くなりましたが、なぜ教師のツイート見てみようかと思ったかといえば、子供を相手にしているから。子供は本能に近いところで動くことが大人より多いだろうし、例えば孤独は何で感じるのか?とか考えるのにいいかなと思いました。それで先生方がどう接しているかなどを参考にしようと思ったのがキッカケ。

で、ツイート見てみると、予想はしていたものの、それ以上に腐ってんなーと思うわけです。それは国や教育委員会の問題も大いにありますし、それが原因で教員が不足しているという事態も理解できますが、教師そのものの質が悪すぎると感じで、つい否定的なリツイートをしまくるという状態に(笑)

これまで多分100人以上は生徒として、または大人になってからもちょくちょく先生と話しますが、振り返ると、いいなぁとか、素晴らしいと思う先生は5%いないくらいだったので、なるほどとも思う。

別に教師の社会が特別ということでもなく、例えば本社が国、支社が教育委員会、そこで働くポジション高い人が部長(校長など)がいて、中間管理職(学校の管理職)がいて、担当者(先生)がいるみたいな構図は変わらない。

違うのは教育ということ、子供が基本的には相手だということ。公務員であることくらいでしょうか。

つまり、人員不足はどこにもある話ですし、予算がないことも普通にある。それにより非効率になり多忙なことや生産性が悪いこともあるという構図はまったく同じであり、会社(国)の方針がクソだなと思うこともある。

それにも関わらず、多くのツイートは教師は劣悪な労働環境で大変だ(それ自体は理解できるが)と嘆くことが多いこと多いこと。別に愚痴は誰でも言いたくはなりますが、状況は多くの人と大して変わらない。また、若干教師は、自分達こそ超大変な部類だと思っている感じもします。別にあなた達だけじゃないから。そして、都合の悪いこと、耳の痛い話は簡単に避ける人が多いという特性もあるように思います。

一番の問題は教師の知恵や工夫がなく、その言い訳も忙しくて無理とか、権利だけを主張するため、まったく建設的ではないということ。嫌ならやめればと言えば、この仕事が好きだから改善したいので訴えているという始末。好きで改善したいなら行動できるはずなのに、そういうツイートは極めて少ない。何もしないで他社や組織に要望するだけで改善できるわけない。

結局子供に対してどーのこーのとかの話は大してなく、自分達の置かれた立場の不満ばかりなので、まーまークソだなと思ってリツイートしまくってるという感じですが、アホらしいのでそろそろやめようかとも思います。

一つの例は、コロナで飲み会がなくなった、参加しないと怒られるし、先輩の話聞かなきゃいけないし、それがなくなり二度と復活しなくていいみたいなツイートがありました。

おやおや、ここ2.3年で忙しくなったわけではないだろうに、そんなに飲み会やってる時間あるのかね、忙しいなら断れるだろ、とか思いましたが・・・

私はリツイートして、本来自分で決められることを状況のせいにしている典型であり、飲み会だけじゃなくてそういうマインドなんでしょ、的なことを書く。

すると、行かないと説教される、断っても精神的に削られるのを理解してない、あなた(私のこと)のような人が上司だったら部下可哀そうと言われる。

まったく意味わからない、とコメントし、理解できないでしょうね、部下が可哀そうですと言われる

ハッキリいって低レベル過ぎて驚愕でした。別に勝手に私のことを想像するのは構わないけど、そもそも、趣旨を捉えることができなく、状況に流されているだけで自分は何もしてないよね、ってことなのに、それは仕方ないというマインドであり、否定されたことを、驚愕の想像力で否定し返すという感じ。

まぁその社会そのもののレベルが低いとそうなるのかなと思いましたが、こういうのも経験から来る知恵が不足しているわけです。一生不満行って愚痴をいい、大変な自分に自己満足してればいいけど、こんなクソやりとりでは何も参考にならない。なんかそんなマインドの人に教えられる子供も可哀そうになってきます。

教師の社会でないところにもこういうケースは勿論ありますが、バランスみたいなものをうまくとっていくのが普通。普段私は誰に対してもハッキリ物事言いますが、そんな私もときには、断るときちょっと体調悪いとか、用事入ってますとか、うまく断る術を覚えるわけですし、嫌なのに出続けてるという自分の工夫のなさは顧みず、状況を受け入れ愚痴ってるだけの体たらく。

飲み会だけでなく、仕事でも形を変え、規模を変えてこういうケースは死ぬほど出てきますが、こんなマインドだったら、そりゃー生産性上がらないし、効率は落ちるし改善もされない。

従って国や教育制度のクソっぷりはあるのは間違いないし、素晴らしい教師もいると思いますが、多くはこのレベル。教員が増えても帰る時間早くなるくらいで、教育そのものには全然いいインパクトないだろうなということと、こういうタイプが多いと、何かを与えまくっても、本質的な質そのものは向上しないだろうなと思います。

大体こういうマインドの人は、時間が出来れば授業を充実させる準備ができるとか言ったりもするでしょうけど、常に”たられば”の話しかせず、そもそも大した専門性もなく、社会経験がない人が多ければ、本質的に教育の質は向上しないでしょう。勿論戦って、改善しようとしている先生も5%くらいはいるでしょうし、そういうツイートも見ますが。

まーまだしばらく教師ワールドに絡んでみようと思いますが、呆れるのはわかってますが、伝統芸能見る感じでいこうかなと思います。

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