コントとしてみればかなり面白い森喜朗の発言ですが、無意識に、または彼のベースとして思っていることが出たとは思います。時代にそぐわないといえばそうですが、こういう話題が出ると、鬼の首を取ったように騒ぐ人達がいますし、批判することだけがプロフェッショナルの野党としては持ってこいの話題。
例えば白いスーツを着て私達は森喜朗のような人ではない、よくわかってます、みたいなことをするアホな国会議員がいるわけですが、本当に真剣に考えているのであれば、そういう人がなるべく出てこないような環境を整える、つまり法案を出し、こういう法律が必要だ、と言うべきですし、それが仕事でしょう。これは政治と金の問題にも言えるわけで、ただ批判を追求するのではなく、こういうことが起こらないように、法律を変えようと提案するのがまともな野党。
さて、男女平等が云々騒がれてますが、今の日本の社会で女性が出世しにくいというのは、30年前よりは緩和されていると思いますが、感覚的に、まだ女性は出世しにくいと思います。そういう意味では平等ではないと思います。ただし、男性の上司がまったくダメな人で、マジあのオヤジ、何も仕事しないんだけど?っていうことはあると思います。予想されるのは、例えば管理職が1:1の比率になったとしても、女性の上司に対して、マジあのおばさん、まったく仕事できないんだけど。という感想は必ずでてくるでしょう。まぁ多かれ少なかれ今もある話だとは思いますが・・・。
大体管理職の割合などを平等にすることが、本当に平等か?という話にもなります。それは恐らく職種によっても変わってくるでしょうし、どこから来るか?判断するべきか?といえば、本来は恐らく本能的なものに近いところの役割ではないでしょうか。そもそもの男女比率だって違う会社は多いわけですし。仮に細かいことは置いておいて、管理職の割合が1:1になったとしても、それでも違う歪みや不満というのは必ず出てくるでしょう。そういうことを想像せずに、やみくもにとにかく女性管理職を増やすというのはロジカルではない。唯一、今まで長い間、男性が多く要職を担い、世の中がうまくいってないから(会社がうまくいってないから)女性増やすことが必要だ、というのは、結果はわからないにしてもまぁありなのかなぁ?
あるときに、ショボい話なわけですが、工場勤務が結構メインだったとき、私のチームメンバーだった女性が(Hさんとしましょう)Haziさん、給湯室の掃除を女性だけにやらせるのは立派な差別です、と訴えてきました。私は確かにそうだな、と思いましたし、こういうときには総務的な人達は表面的に平等を考えるので、私を含めて当番制に男性を入れるということをしました。しかし後から考えてみて、まぁ給湯室の掃除はいいとして、そもそもそこだけを持ち出して、つまり自分に不利や不都合があるところだけ持ち出して主張するのはどうかな?と考えたことがあります。
女性社員のHさんと男性社員のNさんは同じような立場で、同じような仕事をしていました。つまり会社が求めている仕事の内容やパフォーマンスは同じ。当時私は工場内のロジスティックス(物流)を管理する責任者でもありましたが、台風が迫ってくると、荷物を上げるように指示したり、現場に行きチェックしたりします。Nさんも同様に私と共に行きますが、Hさんは体のいい言い訳をして現場に来ることを避けます。勿論、業者のモチベーションあげたいこともあり、手伝いで重い荷物を持ったり、役割として男性が得意なこともあるわけですが、いずれにしても、現場に行くことをなるべく避けていました。恐らく無意識に彼女は、そういうことは男性の役割だと思っていたのだと思います。
あるときは、製造部にお願いしなければならないときに、Hさんは自分の責任としていかねばならないことを、Nさんに任せたりしているわけです。これは彼女自身の問題であり、男性、女性の問題ではないかもしれませんが、自分が不得意とすることや、嫌なことを彼女は避けていました。そういう人間が平等でないのはおかしいと、あるスポットだけを切り取り言われたことに対して、そもそも平等とは難しい話だなと思ったことがあります。そしてこういう人は少なくないのが現実。要するになんでも平等なんて無理な話ですし、無意識に所謂女をつかってる人もいるわけです。
勿論、全体的な流れとして、女性ということだけで、多くの企業で(今の会社は違いますが)出世が不利だということはあるでしょう。本当に実力があれば上がっていけるというのも、間違いではないとは思いますが、それでも男性が有利です。その辺りは評価の仕方だけではなく、マインドも変えていく必要はあるとは思いますが、もっとそもそもの役割を考えて、そして、ある意味平等とするべきではなかろうかと思います。
また、世の中いいことだけは取れないのだし、一人で変える力がないのであれば、それは他者のせいにはせず、その中で自分がどう決断していくか?ということを考えるほうが健全。例えば出産や育児があり、キャリアが伸ばせない、と思っているとします。そもそも、子供を産む、育てると決断したのは自分だし、夫を決めたのも自分。その会社を選んだのも自分。キャリアアップしにくい環境にあるとはいえ、それも含めて結局自己責任だと思い、では何をするか?と考えるほうが最終的には楽だと思います。意見として持っていても勿論いいとは思いますが、変わらないこと、変えられないことに不満だけを持ち、ストレス抱えるほうが不健全。そしてそんな不満では世の中は変わらない。
平等を考えるときには、そもそもの本能や摂理、役割みたいなものから考えてみて、そこから今の社会やっぱりここが歪んでいるよね、と自分なりに理解し、その中で自己責任において生きていくのがいいのではないか?という話でした。あとは良く言われるダイバーシティ=多様性の享受でしょうか。違いを認め、インクリュージョン=参画するみたいな意味、よくD&Iとか言いますが。そういうものの醸成が、偏見や固定概念やらを変えるのかもしれません。これは体験していって段々変わっていくのだと思います。例えば、コンビニでは多くの外国人労働者が働くようになりました。これも一つの変化です。
いろいろな変化はありますが、30年前に比べれば女性が会社や社会で活躍する場面は増えてきていると思います。Zガンダムに出てくる、パプテマス・シロッコは様々な名言を残していますが、彼は次の時代は女が支配する時代になるかもしれん、的な予言をしている場面があります。確かに私が死ぬ頃にはさらに女性が一線に立っている場面をもっと多く見ることになるんだろうなと思います。
そーいえば、私福岡に転勤して初日に、女性社員がお茶を出してくれて、せっせと支店長やらにも出してる光景に衝撃受けて、その日に支店長に(ほぼ初対面でしたが)お茶出しなんて何も生産性ないから各自で入れるようにしてください、と言ったのを思い出しました。その支店長は理解ある人だったから良かったですけど、生意気な奴が来たなと思われたことでしょう(笑)
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