人の命と合理的な判断

日常
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感染者数が一気に増えていますが、そもそも既に感染者数が多いからどうのこうのって判断ではなく、重症者数のほうが重要でしょう。そもそも世論がなんだかんだいってコロナをゼロにならないといいつつも、ゼロにしなければならないみたいな非現実的な世論になっているのがおかしい。

普通に考えれば、1人の命、所謂助かる命が助からなくなる、だから何やってんじゃいボケェって話は合理的でないわけです。自宅療養で死ぬなんて確率で行ったらレアなわけで、仮にそのケースで死ぬ人が5000人いたとしても、全体から考えたら自宅療養させるべきでしょう。それを救うのに多くの業種が苦労をし、もしかしたらそっちの自殺者のほうが多いもしれないみたいな状況。

1を捨てて99を取るということが、政府の勝手な思案やもくろみ、世論に負けて非合理的で非科学的な判断になり、中途半端になってしまうというのは、何とも情けない話です。

そもそも感染者が1000人だろうが5000人だろうが、検査に行ってない無症状の人がたくさんいるわけで、参考にはならなく、ワイドショーのネタレベル。そして何のためにワクチン急いで打ってんだよって話です。

野党の主張は常に、この1と99の、1のほうに対して出来ないことを批判することしかできなく、批判が合理的でないし、それをマスコミがクローズアップするからアホな国民が、1も守らなければいけない、何やってんだ政府、野党もバカだけど・・・という世論になる。

本来、会社でも生活でも、ある程度の合理性は多くの人が持っていて、お金がないから、これを買うのを辞めよう、今月は無理だな、とか考えるのに、いざ人の命ということになると、命が一番大事だ、ということを、表面的にしか考えられなくなる。

大局的な見方と合理的な判断が出来ない政府や国民は、巡り巡って痛い目を見るし、国力を落とす。ロックダウンするべきだっていうセンスのない人や、全国的にやるべきだ、というのは明らかに危機感にあおられて、考えずに出てくる話。

オリンピックにしても、中止なら半年前に決断するべきだったでしょうし、そもそもオリンピックが主な原因で感染が拡大するとかないでしょう。数パーセントは影響するかもしれませんが。GOTOのときと同じような話ですな。

そんなこんなで、私はワクチン接種を職域接種でやっと出来るわけですが、8月後半に1回目をやり、9月中頃くらいに2回目となると思います。打たない選択も考えましたが、いくつかの情報から判断して打つかという結論に。

今後どういう展開になるかは何となくは予測できますが(よくあるなーなーな感じになると思うけど)、もう一度10万円給付とかマジで後から税金で回収されるだけなんで絶対やめてほしい。選挙あるからかなり微妙・・・。

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