多くの企業はdiversity & inclusion(多様なことを受け入れて包括し生かすみたいな感じ)を推進しようとしています。国籍、性別、立場、学歴など異なるバックグランドや価値観を受け入れ、それを生かすというような感じ。今勤めている会社でもそうです。わかりやすいところで言えば、女性の管理職比率増やすとか。ある意味フェアにということもあるでしょうし、そこからイノベーション(革新)を生み出す、みたいなことも言われます。
D&Iの考え方自体は理解できるものであり、いいと思いますが、よくよく考えてみると無理なことしているなと最近思います。勿論ゴールや目的をどこに設定するかにはよりますが、無理というのは、歴史的に見ても無理だろうということ。
Diversity(多様性)というのは、そもそも異なった考えや価値観、バックグラウンドのあるということであり、それは「分断」にも当然繋がります。この分断は歴史的にみれば宗教であったり、何かの主義みたいなものの相違が戦争やもめごと、差別を起こし、歴史的にそれを解決したところはありません。分断自体が悪いことではなく、それがパワーにも繋がるし、それをinclusion(包括して生かす)すればイノベーションに繋がるかもしれない。思ったことは、根本的には歴史上誰もなしえていないようなことをやろうとしているのだと思いました。
根本的にはといったのは、近年特に日本では問題である女性の活躍に主眼をおき、例えば女性の管理職を増やす、ということ自体を目的としているのであれば、別にいいと思いますし、誰も証明出来ていませんが、男性社会でうまくいっていないことを改善できるポテンシャルはあるようには思います。勿論別の問題も出てくると思いますし、うまくいくかなんて中々測りようがないとは思いますが。
要するに意見や価値観が分断されている状態、相互に関わっている状態を生かすわけですが、それがたぶん根本的には難しいということです。企業という枠組みで捉えると、もしかしたら出来ないこともないのかもしれないですし、purpose(自分達は何故この会社にいるのか、なにを成すべきか)が重要だとも言われます。
なんか理屈はわかるんだけど、インサイト的(言葉に出来ない無意識的に思うこと)なものがわからんというか、表面的にやっているように見えるD&Iの推進は、結局何を目的にしているのかがわからん、ということがうまく言えないけど思うことではあります。ある程度のことを目的にし、例えば女性管理職の比率を増やす、障がい者を雇う、中途採用を増やす、外人を雇うということを目指し、それは定量的に測れるので、とりあえずその数値目標を達成しよう、あとは自然になりが起こるかみてみよう、って話なら、私の良心や感覚からでもわからんでもない。
それでよりよい社会を目指す、というのはとても曖昧であり、何がいいのかよくわからんから、そこまで謳っている会社って歴史的にも文化的にも無理じゃねって思うし、凄い理想のために費用対効果の悪いことをしているんじゃないかなとか思いました。目先では利益ばかり気にしているくせにね。
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